結婚式に想いを馳せて、
2014-10-27
2014年10月28日
今月の初め、当社の女性社員が結婚いたしました。
年齢も丁度良い時期であり、沢山の方々のお臨席を得て、素晴らしい男性を射止めた祝福の日となりました。
最近は、こんなに沢山(200名近く)の方々が出席する結婚式は珍しくなりました。
場所も若者の街「神宮前」であり、私ごとに下世話な話として"費用も相当になったであろう"と推察したものであります。
彼女からご挨拶の依頼があり、どのようなお話が良いのだろうかと考えましたが、通り一編の祝辞では若い彼女の友達も含めつまらないであろうと思いましたので、何か情緒豊かな話がしてみたいと考えました。
丁度、お二人から私の心に残る音楽のリクエストをいただいて、挨拶のバックミュージックとして流れるとの事でしたので、若いころ夢親しんだ映画音楽をお願い致しました。
結婚式に想いを馳せた挨拶、
2014-10-27
挨拶の初めの方での新婦紹介などは省きますが、その後の部分を思い出しながら書いて見たいと思います。
新婦は常に穏やかで、明るく、全てに謙虚であります、これは家庭教育での躾、人間形成をされた結果であります、私はこの様に育てられたご両親を大変敬服いたすものであります。
只今、会場に流れているメロディーは、お二人から何か私の心に残る音楽がありましたら・・との事でリクエストさせていただきました。
もう50年以上も前になりますが、当時の銀幕に妖精のように現れ、世界の人々の心を捕らえましたオードリ・ヘップバーン、彼女が演じた映画「テファニ―で朝食を」のいちシーンで、アパートの窓辺に腰を掛け、ギターをつま弾きながら思いを寄せる上の階の彼にその心の内を訴えるように口ずさんだのがこのムーンリバーでございます、それは彼をムーリバーになぞらえ次のように歌うのです、『果てなく広がるムーンリバー、夢を与えるのも貴方、砕いてしまうのも貴方、それでも私は貴方の後について行きます、二人で旅をし、二人だけで沢山のものを見たいの、でも追い求めるのは同じ、あの虹の向こうにあるの、私は虹の上で待っているわ』と歌い彼の心を伺うのです、これは多くの女性が描くであろう、結婚へと至る心境ではないでしょうか、私もこのメロディーが流れるたびに若かったあのころに立ち返りなんとなく胸キュンといたします、新婦もこのような心境のころもあった事でしょう、でも今日はその願いも成就し、これからは家庭と云う世界に向かう訳でございます。
生物の進化を論じたダーウインは『強いもの、賢い者だけが生き残れるとは限らない、変化に適応出来た者だけが生き残れるのである』と教えています、将に世の中は変化の連続であります、この新しい二人のご夫婦にとって、家庭生活や仕事の上で起きうるであろう、その変化をいち早く察知し、全知全能を駆使して最善なる適応を図って頂きたいと思います。
二人で支え合い、いつ如何なる問題に出会っても、互いに理解を仕合えるお二人であって下さい、そしてあのムーリバーの虹の向こうにある新しい夢や・希望や・願いをこれからはお二人で一つ一つ摘み取っていってほしいと願っております。
結婚式に想いを馳せての終わりに、
2014-10-27
以上のような挨拶内容だったと思います。
乾杯が終わった後に、新婦の叔父が私の所に来て ”素晴らしいスピーチありがとうございました,貴方のスピーチは、今まで沢山の結婚式に参列しましたが一番のスピーチでした” とお褒め頂きました。
あくる日彼女からお礼のメールが入っておりました、『昨日はご参列いただき、また、素晴らしいスピーチをありがとうございました、彼も"社長のスピーチ最高"と云っております、そして友達が "祝辞の挨拶で泣いたのは初めて" と云いながらまた泣いておりました』と書かれておりました.
きっと結婚に想いを描く乙女心に少しは刺激を与えたのだろうと思いますが、私のこのような挨拶で多くの人が結婚を、また様々な立場での結婚式に思いを馳せられた事が出来たのかな、と今思い起こして居ります。
リメンバー広島・長崎
2014-09-03
2014年9月3日
当社は、8月決算ですので9月に入りますと新年度としての業務形態に代わります。
お取引各社には、引き続いてのご用命を切にお願いするとともに、より一層のご指導とご鞭撻を賜ります様、重ねてお願いを申し上げたいと思います。
タイトルのリメンバー広島・長崎これは、you tubeで日本記者クラブでの記者会見で〈なかにし礼氏・佐藤しのぶ氏〉の作品発表が写し出されておりました。
その内容がタイトルのリメンバー広島・長崎でした。この作品の制作意図をお二人が熱く語っておられました。
その模様を拝見していて、お二人の並々ならぬ決意を持って臨んだ制作であったと実感致しました。
なかにし礼氏の書かれた詩、それにかかわる背景、詩の意味合いがオペラ歌手、クラシック歌手として活躍されている佐藤しのぶさんに乗り移ったかの様に歌詞一言一言に手話を交えての歌う姿を鑑賞し終えて、何か私の体の中を閃光の様に貫いて行くものがありました、私はパソコンの画面が涙で霞んで何も見えない状態でした。
私は以前にもブログでご紹介いたしましたが、防衛省の援護協力会理事ではありますが、退職隊員の再就職のための援護であり、将来の日本を担い、出来ることならば指導者となって人々を導く人材発掘に努力をしているのであって、戦争あるいは戦闘そのものを容認していると云うのでは有りません。
地球のどこかで起きているテロや戦争では、その地域での子供たちが恐怖で体を震わせ、怯えた目線でカメラを見据える姿は、昔、日本のどこかで起きていた再現の様に思い起こされます。
小学生の頃、同級生の中には父親・兄を戦争で亡くした多くの生徒が居りました。家族と云うテーマで書された作文の発表ではその生徒が読み上げる、寂しさ・悔しさ・その哀れさを乗り越えて今生きて行かなければならない苦悩を聞いて、共感する生徒たちが次々と机に伏して泣き崩れた情景を思い起こされます。
思想・信条、大人の描く世界だけの感情やエゴだけで戦いを繰り返してはなりません。
次の世代を担う子供たちに伝えなければいけない、リメンバー広島・長崎は日本人が思い起こす大切な記憶であります、この歌を発信して世界の多くの人達にもう一度呼びかけたい『平和』を、取り戻そう『安心な世の中を』・・・・・
(写真は佐藤しのぶさんが記者クラブでの発表会見の時のものです)
我が家のミッキー(5.6歳の頃)
2014-08-18
2014年8月18日
久しくブログの更新を怠っておりました。
お盆休暇も終わり、今日から12月に向けて5/3の残り期間のスパートにとなりました。
この夏は、台風の襲来を受けて、日本の各地で雨・風での被害が発生致しました。
甚大な被害を被った方々に心からお見舞いを申し上げす。
また、夏の暑さに近年地球の気象環境が変わってしまったのではと思うくらいの暑さには閉口いたします、家の中に居ても熱中症になって仕舞うとはおどろきです。
所で、タイトルにあります、我が家のミッキーは当家に来てからもう18年が過ぎました。
人間年齢では90歳にならんとするとか獣医が話しております、来たころの真茶でビロードのように艶々していて皆さんから『何かを体に塗っているの』と云われるくらいに見事なものでしたので、それが自慢でした。